NPO法人フリースクール
阿波 風月庵 -ふうげつあん-

『早う、風呂に入りなよ!』の命令口調は強制

お風呂嫌いの正体

私の思う「ひきこもり流考え方」についてお話したいと思います。

私が自分のひきこもり体験を語るときに、恒例の話があります。母とのやり取りで、子ども時代から55歳迄ある謎を抱えていたのです。何故、その謎の解決に至ったかは、家族会等の活動で、同じような性格(考え方)傾向を持つ親・若者の話からの気づきでした。

それは、お風呂にまつわることです。

子どもの時から、丁度テレビに区切りがつき、お風呂に入ろうとしている時に限り、母親が、「お風呂に入んなよ!」と言うのです。何故、自分(母)の都合しか考えないのか? 見たら察しがつくだろうにと、私はとても嫌な気分になり、母親に「もう今夜は風呂に入らないから。」の返事となります。母親は、「ほんまに、この子は、風呂が嫌いな子や」と愚痴り、諦めます。

私は、風呂好きなのですが、母の言い方が命令口調と自分勝手さ故に、母の「風呂に」の言葉に、何故かすぐ「入らへん。」と返すのが習慣になっていました。「そんな言い方なら入らへんわ」と気持ちを言葉にせず、結論で終わるのです。 子どもの頃から50年、母

とのこのやりとりは繰り返し、続いてきました。

母親は多忙な家事の手順で風呂に入ってほしい。が、

私は自分の手順を他人に替えられるが嫌で、母も同じ癖を持っていたのです。親子の同じ性格がいつもぶつかり、双方が嫌な思いをしていたのでした。

が、かわる時は来ました。

55歳になりやっと、母に「何故、風呂に入れとせかすのか?」と聞いてみると、「風呂を出た後の片付けが心配」との返事でした。そこで私は、その片付け方法を丁寧に聞いて実行し、さらに翌朝、母親に片付けたところを確認してもらいました。

この確認が以前の私にはなかったところです。指摘されたことを私の判断でしておけば、それでしたことになっていました。しかし、55歳からは違っていました。相手(母)の判断を大切にしています。

私が判断した「できた」と、母親が判断する「できた」には違いがあることを理解しているからです。

その後、母の「お風呂空いたでよ」の言葉に、私は「ありがとう」に替わっていました。親が、子どもの判断を尊重し大切にすると、子どもも、親の判断を大事にしてくれます。