NPO法人フリースクール
阿波 風月庵 -ふうげつあん-

19年目の記念日に (死なないでくれ!)

かぜさんの「体験談」;6

重荷に耐えかねての家出

3月1日が、風月庵の誕生日です。何事も続けることが出来ない私が、20年も活動を続けてきたのは奇跡に近いのです。父は天国で笑っていると思います。

仕事が嫌で、職業を転々としていた20代、家出を繰り返していたその頃の私を、両親はどんな思いで見ていたのでしょう。

将来を期待し、家業・家系を継ぐ長男として、生きることが決まっていた筈なのです。それが苦痛だったとは、当時の自分自身も解ってはいなかったのです。覚悟していた筈が、重荷に耐えかねての、家出が繰り返していたと思うのです。

したいことはいっぱいあった

ボランティア活動を主にしながら、結婚も子育てもして、生活の為に仕事もしながら、保育士になる夢を追いかけていました。したいことはいっぱいあったのです。

次々と挑戦している危なっかしい若者だと周りは見ていたと思います。そんな周り以上に、情熱的に、一生懸命に私は全力疾走で生きていたつもりでした。全力疾走は、やがて、ボランティア活動も私的生活も、金銭的にも行き詰まります。

徳島で死ねなかった私は、子ども二人を連れて大阪生活を始めます。一生懸命生活はやはり続きませんでした。7年後徳島に帰り、1年後再び大阪へ向かうことになっていきました。

この時、二度と徳島の地で生活することはないと誓った筈でした。しかし、子育てが終わると、1年間日本一周をして、徳島にて風月庵を始めたのです。

だらしなく生きよう

10年でやめるつもりが、もう20年になる風月庵時代です。我ながら情けない人生だったと思います。

そう60歳を過ぎる頃から・・・、まんざら悪くない。 風月庵で仲間と出会い、幸せを思います。

皆が苦しんでいると、実感できたことで、「自分だけが、辛いわけじゃなかった。」と、実感できたからでした。

みんな、死なないでくれ!  自分を苦しめ続けないでくれ!  甘やかしてもいいんだ。

60歳まで生きることは耐え難いかもしれん。 それでも、人生の後半には幸せになろう。 若いときは死にたくなるくらいバカをして、後悔をしよう。

辛い思いを重ねてきた分、その分、幸せを感じ始めると、じっくりと味わい深くなってくるのだから。

ダラダラでいい、グズグズでいい、だらしなく生きよう。

そして、老いて、親が死んでしまった後こそ、自分らしい幸せを、ゆったりと味わおう!   かぜ