NPO法人フリースクール
阿波 風月庵 -ふうげつあん-

コミュニケーションとは?‐3 「謝れない 父と子」

「謝る」は、自分を楽にする

以前訪問に伺っていたお父さんから、当時高校生だった息子さんに、「中学時代のことを、私が息子に謝ることで、学校に行くようになりますか?  それなら、謝ります」と、尋ねられました。

私は「学校に行ってもらう為に云うのは伝わりません。お父さんの本心で謝罪され、誠意が伝われば可能性は充分あります。」と、お答えました。

そこに愛(本心)はあるのかえ?

次の訪問時に、お父さんに「どうなりましたか?」とお聞きしましたら、「止めました。そんなこと言っても、変わる筈ないでしょう。今迄もそうでした」との、お返事でした。

その状態のままでは、いつまで経っても、家族の誰にも気持ちの変化は起こりません。「そこに愛(本心)はあるのかえ?」と、CMの様に尋ねたくなります。

しかし、お父さんから「謝りたい」と言葉が出たからには、お父さんの気持ちの中にはそうしたい何かがあった筈なのです。真剣に父親が子どもに気持ちを伝える時、その誠意は伝わり、内容を納得出来ずとも、気持ちは受け入れ始めてくれます。

コミュニケーション能力が低い

しかし、男性は、親の立場にこだわる人は、謝ることは負けること、自分の非を認めることになると、勘違いされている様です。謝ることに、どちらが勝ちか、負けか、正しいか、間違っているかはありません。

大概の場合、こちらが謝ると、相手も謝ってくれるものです。それが人のコミュニケーションルールです。こちらが気にしている場合、相手も何かは気にしていると考えて間違いありません。

もし、こちらが謝っても、相手からは何の謝罪の言葉や、謝る雰囲気・態度を受け取ることがないのは、相手のコミュニケーション能力が低すぎると思えるのです。

そんな人には、今後は謝る必要もないし、信頼できない人間だと、判断できてよかったくらいに思っておけばいいのです。

人への不信感を、膨らませてきた

コミュニケーションにおける問題(トラブル)が起きた時に、その結果、自分に改善するところがあるとか、反省の余地があると思ってしまいがちです。しかし、必ず相手にも改善してもらいたいところ、反省していただきたい余地もあるということなのです。双方共に改善すべき課題が、反省するべき余地があるのです。

「謝れない・謝らない」にこだわっていると、後から、何年経っても、言い訳や、相手の間違い・不当性を探してしまいます。自分の正しさ・正当性を、無理に探し出し、結果は自分の心の傷を大きくします。

冷静に見てみると、他人を許せないことは、同時に自分を許せず、人への不信感を一緒に膨らませてきたことに気付くと思うのです。   かぜ