本人が必要に応じて、公的支援と民間支援をW活用
毎年2月に、「徳島県ひきこもり対策連絡会議」が、徳島県精神保健福祉センター内・ひきこもり支援センター「きのぼり」の主催で、開催されています。確か2011年が初開催で、県内10名の支援者が集い、情報交換から始まりました。風月庵と関わりのある方ばかりでした。知的障害施設「れもん」と「ひのみね療育センター」で訪問活動をされていて、この2団体が、当時ひきこもり支援に関わる福祉・医療関係でした。
振り返って、私たち風月庵が活動し始めた2001年当時はどうでしたでしょうか?県内に7保健所がありました。その内の三好・吉野川・徳島・阿南保健所で、定期の相談と家族会が開催されていました。
しかし、ご本人が来て下さらないと、相談には応じられませんという時代でした。市町村でも対応はなく、支援団体は風月庵しかありませんでした。
今は鳴門保健所が徳島保健所に吸収されて、6保健所内で、三好保健所が、唯一相談を継続されています。
3年後には「全国ひきこもり親の会・徳島県支部:つばめの会」が発足され、風月庵とも交流がありました。相談会と家族会の定例開催から始められ、会報の定期発行・当事者会・居場所作りの動きもあり、現在は、徳島市幸町の「徳島インマヌエル教会」にて、月2回の集まりがもたれているそうです。全国的に訪問支援者の養成が始まり、それに尽力された頃から疎遠になっていきました。
3年後には、地域若者サポートステーション徳島が徳島駅前に開設されました。しかし、「就労支援」が主たる活動と、限定され、ひきこもり支援からは離れていかれた時代もありました。最近、未就労や短期退職の若者が増えて、ひきこもり気質への対応が就労継続に欠かせないとの観点から、再びひきこもり支援活動にも目を向けてくださっています。
この地域若者サポートステーションの運営を支える会議:徳島県若年者すだち(巣立ち)支援ネットワーク運営協議会が毎年3月、県庁にて開催され、出席させていただいています。この会議と冒頭のひきこもり連絡会議での動きを総合的に判断し、徳島県内でのひきこもり支援活動の現状を把握しているつもりなのです。
2010年には、「ひきこもりガイドライン」が、厚生労働省からせ再発表されました。家や部屋にひきこもらずとも、人との関係を明らかに回避する行動が、1年以上続いている状態を「ひきこもり」との認識です。この認識はあまり広がらず、今も「ひきこもり」を狭く捉えている人は多いのです。
しかしその後、大きく変わってきたことがいくつかあるのです。
まずは、医療機関の対応で、不登校・ひきこもりの診察を、親だけで受診出来る様になり、「思春期外来」という名称で、精神科の受診・通院・投薬を受ける若者が増えてきました。特筆すべきことは、発達障害が大きく影響していることが報じられ、その診断が急速に進み、広く理解される様になりました。
さらに、就労に関する公的支援を受けるには、障害者手帳の保持者に限られていましたが、医師から、うつ病を始め精神症・発達障害の診断を受けた者は、公的支援を受ける対象になってきました。
福祉就労施設では、3障害が一本化されて、社会参加に困難を抱える全ての人が「公的支援」を受けられることとなりました。「障害者職業センター」(ハローワーク徳島3階)や、県内の福祉就労施設、市町村福祉課窓口でも、支援からステップアップして、一般就労へと進む道も選択出来る時代になってきました。
ハローワークの窓口が広がり、ひきこもりの状態にある者の利用がしやすくなっています。その傾向にある者には、理解ある専門相談員をお願いすることが出来きます。生活全般に関する相談も可能になりました。
相談窓口と言えば、地域の青少年育成センターが不登校・ひきこもりの相談事業を積極的に取り組んでいただける様になっています。
さらに、市町村で3年前から「生活困窮者対策事業」が全国的に始まり、その対象者に「ひきこもり」状態にある者も含まれます。この入り口の広がりは大きかったのです。
公的機関や団体の残念な点は、担当者が短年で替わり、支援技術の積上げ・向上が望みにくいことです。
風月庵の開始当時は、ひきこもり支援の相談~就労に挑戦していましたが、これら時代の流れに応じた、公的支援・民間支援の双方を本人に適した活用方法で、一緒に選んでいくことを願っています。 かぜ