名前や身分の要らない「お遍路さん」
逃亡遍路に旅立てば・・・
2019年4月末から6月まで、遍路旅に出ておりました。
急に思い立ったので、家族、知人にも、なんでまた?と聞かれたりするのですが、
「発心」を起こしたと言っております。
荷物を背負って、1番の霊山寺から順に、歩き遍路を始めました。
普段、トレーニングも何もしないモノグサ爺なので、体力は全くありません。
11番の藤井寺までの平地でさえ、筋肉痛、ひざ痛、足裏のマメで苦しみ、この先の旅路が心配になってきました。
都合のいい所で中断し、一旦自宅に帰り、自宅静養しながら、身体を馴らしました。
「遍路転がし」で有名な12番焼山寺を上り、鮎喰川沿いに一宮までの下りがなんといっても難所です。
雨の中を、滑る山道に足を取られながら、無駄に重い荷物に悪態をつきます。
嫌がらせのように山の上に寺を置く、弘法大師の了見に辟易しながら、なんとか遭難もせず、相当暗くなった夕刻に、宿までたどり着きました。
2階の部屋に上る時、階段の手すりにつかまり、身体を引きずり上げる様は、疲労困憊の難儀そのものでした。
この経験があったためか、鶴林寺、太龍寺もさほどの苦労とも思わず着きました。
県内最後の薬王寺まで着くと、後は高知県室戸までの長―い海岸沿いの遍路道です。
うーん、歩き遍路は、宿代がかさむ・・・。
チャリで行くなら、早く行けると思いつき、家の折り畳み自転車で再出発です。
私は、一体何者なのか?
旅程を詳しく書いてもきりがないので適当に端折ります。
スピードアップのための自転車は、反面坂道の苦労を増やします。
登り坂が来るたび、荷物の目方+チャリの目方分、足は頑張らないと進みません。
息が切れて、これがどの位続くのかと絶望的な気持ちになります。
転んで怪我をする。荷物の一部を落とす。
チャリのトラブルで押し歩き予定の場所まで着きません。泊まる宿がありません。
降りかかる難題には、くじけず、対処するのみです。
辛くとも、引き返すか、我慢して進むかの二者択一なのです。
徳島から四国を半周した処まで来て、もう後戻りはないと納得しました。
そう覚悟すると、吹っ切れました。
白衣、輪袈裟、菅笠の遍路のいで立ちをしていると、誰もが遍路と認めてくれます。
お接待や激励を受け、信仰心の篤い善良な人と勝手に思ってくれます。
じゃ、私は一体何者なのか?改めて、自分で考えてみました。
なにやってるんだろ、俺?
どこにも属さず、名前も必要ない巡礼者。これは非常に快適な心境です。
毎日思うことは、次の目的地を目指して、進むことだけ。
天気と体調と手持ちの路銀のこと以外は、考えない。
しかし、解放感に溢れた、快適な巡礼旅も、進めば進む程、旅は終わりに近づくのです。
長尾寺、大窪寺のその次は振出しなのです。
道中出会った歩き遍路の皆さんは、何回目という方が多いのです。
「暇と費用の目途がつけば、また、遍路をしたくなる」と、仰っています。
互いの境遇や心境を聞くのを控えることが遍路上の配慮なのでしょう。
わざわざ荷物を背負い、歩き旅をする修行の奥には、私と同様な逃亡感を、皆さんお持ちなのではないでしょうか。
しがらみから離れて自由になりたい、と願っても、運も能力もない我々は、旅に出る主人公に自分を重ねながら、いつかあんな風に旅に出るのだと自分に言い聞かせてきました。
自由になるためには、あれも必要、これも必要、そのために、あれも我慢、これも辛抱。
いつまでも続く ・・・ 「~のための~を」
の連鎖に絡めとられ、果てしなく後退に次ぐ後退を余儀なくされてきました。
手を伸ばしてつかみ取るはずだった自由は、ますます遠ざかるばかりなのです。
その反面、地縁や血縁のしがらみから自由になりたい気持ちも強くなります。
西行、宗祇、芭蕉等、移ろいゆく儚いものへの哀惜、この場所と違うどこかへの、憧れに向けた気持ちも伝わってきます。
「男はつらいよ」のフーテンの寅さんが、何故、あんなに、陳腐な筋立ての物語なのに、人気があるのか考えずとも解ります。
お遍路の格好をした逃亡者なのです!
遍路はそういう「日常からの逃亡」のていのいい口実になります。
つらい修行に立ち向かっているのだから、逃げているわけじゃないのです。
巡礼者は、どの宗教でも相応しい敬意を受けてきました。
巡礼は世俗から逃げたのではなく、聖なるものに参入するということなのです。
あの心地よさはそういう価値のジャンプ、あるいはパラダイムシフトだったのでしょう。
たとえ、一日の日程でも、歩いて遍路に旅立てれば、名前や身分のいらない、誰でもない一人の「お遍路さん」になれます。
毎日の思い通りにならない日常から、いつか自由になりたいと願っている、あなた!