NPO法人フリースクール
阿波 風月庵 -ふうげつあん-

「訪問」という扉をノック

訪問活動で、お宅にお邪魔したとしても、初めからご本人とお会いすることはお願いしません。何故なら、ご本人がお会いしてくださるとは思ってもいないからです。ご本人にはお会いしないことをはっきり伝えて、ご本人の了解はいただいてから、訪問を始めています。

今でも、そこは変わりありません。

以前は、訪問初日から会って下さることで、お尋ねしました。会ってくださっても、無口で、反応も少ない、何か不機嫌で、反発的な態度と、時期により、様々な印象で問いかけられるものを感じては、訪問する私も、精神的に疲れて帰路につきました。

かつては、帰宅後、どっと疲れが出てきて、我が家の駐車場の車中で横になり、「どういうことなの?」と、しばらく考えて、気持ちの整理をして家に入る必要がありました。

次の訪問時にも、車中で訪問時の状況を想像しながら走ります。そして、意を決して、重い玄関を開けていたのでした。

いつの頃からでしょうか? 「僕は(私は)会わないけど、訪問はいいよ」と、言って下さる若者がいたり、「えっ、僕が話さなくていいの?家に来るのはいいよ!」との返事やら、様々な反応をもらっている内に、少しは私を迎い入れて下さっているからと思え始めたのです。

そんな風に思える様になってからは、玄関の扉も軽くなり、向かう車中でも、「今日は、何の話しをしよう?」と、楽しめる様になってきました。勿論帰りの車中でもです。

そんな訳で、「訪問」とは、家の中に居る時間だけでなく、少なくとも、お宅への向かう車中で始まり、帰りの車中まで続いているのです。

不安な気持ちを切り替え、とても前向きな態度で、努力してくださった結果が、今の「訪問」を受けて下さることになったのだと思うと、素直に安心して訪問できるようになりました。

今では「訪問」することが、楽しみになっているのです。

訪問させてもらえることは、ご本人が会って下さらなくても、外から聞こえてくる小さな声に耳を澄まして下さっていることなので、本当に勇気ある第一歩に感謝しています。

外から訪れる私が、若者から会うことを許されていく一歩であり、外からノックしている私の想いが、お互いの心に響いている証しだと思えるのです。その喜びを、今は感じられているので、お会いしていただかなくても、「訪問」は大きな一歩と、確信しているのです。  かぜ