ひきこもり旅……… かぜさんの「体験談」;5
自分の世界観にひきこもり続けていたい
私は、その時、生活している所が嫌になると、次の場所を求めました。
転々と職場も住まいも替えてきました。
実家に嫌気がさすと、家出をしました。
私が、家出を繰り返していたのは、「外にひきこもる」ことではなかったろうか?と、考えるようになっていきました。
「外にひきこもる」表現が解りにくければ、現実からの逃避でもいいです。
現実に対して、自分の世界観にひきこもり続けていたいと言い替えてもよいのです。
外へ外へとひきこもり続けていると、この世の外へと向かい、自殺願望から自殺未遂となり、時には帰らぬ人となるのでしょう。
今のひきこもりの常態にある若者が、家内に、部屋内に、ひきこもっていられるのは、豊かな家庭環境と時代背景で、モラトリアムが当たり前になっているからでしょうか。
昔、私達の時代は、外へひきこもらざるを得ない社会規範があったと、思うのです。
お互いに、逃げている
昔は外へ、今は内へと束縛から逃げているのにかわりはないのでしょうか。
自分の本質課題から逃げ、現実から逃げているところは、今も昔も同じに見えるのです。
親と子の逃げ方も同じ理屈で考えるなら、
親は子に、逃げていると責めます。
子は親に、逃げるなと攻めます。
お互いに、逃げていることにかわりはない。
だから、お互い自分の逃げを認め合えれば、そこから心の解決は始まりそうです。
昔から「ひきこもり」はあり、時代と共に形が変わってきただけなのですか?
時として私は、「ひきこもり旅」時代を、思い出しています。 かぜ