NPO法人フリースクール
阿波 風月庵 -ふうげつあん-

他者の介入を許していない

私の無意識防御術

元々運転免許は持っていたのですが、運転が怖くてずっと避けていました。週1回運転の練習をしていた時の話です。ですが、かぜさんとの特訓の成果もあり、駐車に難があるものの、自分の方法で運転できるようになりました。最近、外出する時には、私の運転で出かけます。

やってしまった

運転に慣れ始め、調子に乗っていた頃に、かぜさんの車で、とうとう軽い自損事故を起こしてしまいました。かぜさん宅の車庫から車を出す際、左後輪を擦り、パンクしてしまったのです。その時は、プシューという音がしたので、「やってしまった」と思いました。

その後、修理業者に連絡を取り、業者が来るまで待つことになりました。その場にはかぜさん・K君・私の3人がいて、私が1人残り、2人は一旦、風月庵にバイクで戻り、また帰って来る段取りになりました。

修理業者を、ただ1人で待っていると、することが無いので、頭の中で「どう責任を取ったらいいのだろう」「修理費用はどれくらいかかるのか」と、答えの出ない問答を1人で行い、不安が見事に強くなっていきました。

早く戻ってきてくれ

その状態から、さらに不安を強くした要因が、もう1つあります。それは1人で初対面の修理業者とやり取りをしなければならない可能性です。事故を起こして精神的に余裕が無いところに、修理業者とやり取りをすることを想像するだけで無理でした。

ですから、「かぜさん早く戻ってきてくれ」と祈りながら待っていました。すると決死の祈りが届いたのか、かぜさんが戻ってきました。私は賭けに勝ったと思い、ほっとしました。ただ同時に、修理業者とやり取りをする貴重な経験を逃した瞬間でもありました。

誰かと気持ちを共有すると、楽になる

その後、修理業者に車を引き渡し、風月庵に帰ってきました。自然と事故の話になり、お互いが、自分の責任だと考えていることに気付きました。「じゃあ、2人の責任にしましょう」等と言っていると、少し楽になってきました。

何か失敗とか、やらかしてしまった時ほど、誰かと気持ちを共有すると、楽になることが確認できたのは、大きな収穫でした。この事故で働いていた時を思い出しました。失敗や間違えた時に申し訳ない顔と雰囲気を作って、怒られるのを避けようとしていたことです。

今回の事故でも「申し訳なく思って自分を責めている様で、他者の介入を許していない」、そんな自分の無意識な防御方法が垣間見えた気がしました。         K