足らず、過ぎずの 配慮と見守り
活動の現場と生活から;2
居場所を作る能力とは?
活動の主軸の一つに、「若者の居場所」作りがあげられます。参加する若者にとって風月庵が、「居場所」になることも大切です。
ですが、今まで、今も、今からも、ご本人が一緒に住み、一生関わり続ける家族こそが、「居場所」になることが、支える第一歩と、私たちは考えます。
自分の家族が、いつも自分の味方であり、自分の家庭が、どこよりも安心できる雰囲気と実感できることは、人間が生きるうえでの基本的人権=誰もが生きるために必要なことなのです。
しかし、「ひきこもる」ということは、自分の味方は誰もいない、全てが敵、「居場所」はこの地球に存在しないと思っています。死ぬことも出来ないから、自分は、ここでこのまま、一生一人だけで、生き続ける方法しかないと固く信じているのです。私のひきこもり時代の正直な想いでした。
家庭が、家族が、若者の「居場所」になることを、ご家族にお願いしたいのです。
居場所とは・・・?
[ 今の自分を、今のままでいいよ ] と、感じられる雰囲気を醸し出してくれる人間が複数で生活している(安心で安定した)空間を作り出す作業です。
安心できる環境で、許され、認められる、感じたり、考えたりする時間と気持ちを保障してもらえる関係が実感できていること。
[今の自分を 今のままでいいよ]を考えてみますと、実は本当に難しいことで、この受容こそが、支援の基本であります。 そして、「居場所」そのものであるといっても過言ではありません。
家族のことで、説明してみますと、
→まず、この家に生まれて、育って、生きていることを認めてくれる
→働いてなくても(学校に行かなくても)、ここに居ることに安心出来る
→普通に話しかけ、色々と相談してくれる
→嫌な表情・言葉・態度を大切に扱ってくれる
→心配でも、先々意見や忠告をしない
→気持ち・成行き・戸惑いも聞いてくれる
→自分の意見や行動に関心を持ち、見守ってくれている
→適正な評価を、正直に伝えてくれる
→各自が、自分を大切に出来ている
互いを大切に出来る 接し方
風月庵スタッフでは、このような配慮が、自然に出来るように心掛けています。 自分が出来なかった、違う結果になった時は、後から説明して、お互いを大切に出来る様に、接し方を常に工夫しています。
「居場所」とは、場所ではありません。
- 安心で信頼のもてる関係が有る
- 穏やかな雰囲気が補償されている
- 自分に関心を持ってくれている
- 自分の出来る方法で一緒に考えてくれる
- 不安な気持ちにも付き合ってくれる。
そんな仲間・家族・先輩・知人を作り、作ってもらい、その関係を大切に育てる技術を自分のやり方で身に付けることが必要なのです。
「メンター」・「居場所」
そのために、親が、スタッフが、周りの人が出来ることは、「足らず、過ぎずの配慮」と見守りを絶やさず、援助者の存在をほのかに伝え続けることではないでしょうか。
「メンター」になっていく作業と、関わりから生まれ育っている信頼感を「居場所」と云ってよいと、私は思います。
世界が、社会が敵だらけであっても、ふと気付くと、あなたも自然に、誰かの「メンター」「居場所」になれているかも知れません。
そのため、あなたに、私に、出来ることを、まずひとつ見つけていきたいものです。 かぜ